バツ3から4度目の結婚。幸せなステップファミリーを目指す奮闘記。

バツ1、バツ2、バツ3…から4度目の結婚。今までの結婚歴は無駄じゃないと思い込みたい今日この頃。

急性散在性脳脊髄炎(ADEM)息子の闘病記②症状改善~ステロイドパルス1クール目

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ハイ☆ちゃーこです♪

子供は自然に大きくなるものだと思っていた。

それがある日突然崩れた。

余命宣告、意識不明、再発、下半身麻痺。 息子が小学校6年生の時にかかってしまった病気について書こうと思います。

ここまでの経緯は急性散在性脳脊髄炎(ADEM)息子の闘病記①にありますので、良かったら読んでください。
emo-ne.hatenablog.com

 

症状が改善(入院11日目)

一時帰宅から病院に戻り、さすがに疲れた様子の息子。

しかしなにげなく会話をしている時に、黒目の可動域が大きくなっている!

すぐに先生に報告。

息子の黒目の動きを念入りに調べる。

この時私はまだこの改善が今後の息子の人生を大きく変えるものだとは思っていませんでした。

そのあと、先生から手術前にもう一度MRIを撮らせてください。と言われ承諾。

 

 手術中止!(入院13日目)

手術の説明を聞く日がやってきた。

気が重い。

治すための手術はできないとキッパリ言われている。

だけど開頭手術をしなければいけないという状態。

小児科と脳神経外科の先生が待つ個室へ。

座ってすぐに先生が「手術は中止します。」

え?今なんて??

すかさず先生が、

「最初のMRIの画像と昨日撮った画像を比べたところ、腫瘍と思われていたものが縮んでいます。

???

腫瘍ってそんなにすぐに縮むの?

聞くと、息子は入院してからずっと点滴をしていましたが、それには脳の腫れ止めも入っていたらしく。

ただ、その点滴では腫瘍の場合ここまで劇的に改善はしないのだそうで。

なので、「今後の治療方針が変わりましたが、初めてのケースなのでいろいろな先生と相談させてください。」と言われた。

黒目が動くようになったのも、腫れが引いて圧迫していた視神経が解放されたためだった。

あとでわかったことですが最初に撮ったMRI画像は、小児科、脳神経外科の先生が見て「悪性腫瘍」そのものだったそうです。

なので縮んだことにより、もちろん私達は嬉しいですが、先生達は焦ったようで…。

じゃあコレはなんなんだ。といった感じでしょうか…。

 

 治療方針決定(入院15日目)

手術中止の話を聞いた二日後の夜、主治医から電話が来た。

ステロイドパルスという治療法を試してみたいのですが、そのための検査を明日の朝からやりたいので許可をください。

そして明日その治療法についての説明をさせてください。

という電話だった。

断る理由などなく、「よろしくお願いします」と伝える。

そしてこの時腫瘍と脳炎の確立を言われた。

腫瘍4割、脳炎6割とのこと。

最初から考えれば期待が持てるが、まだ腫瘍4割かぁ。

 

 ステロイドパルス前の検査(入院16日目)

翌日病院に行くと、血液検査が終わったと。

続けて眼科、髄液検査、筋電図…。

眼科、視力、眼圧、複視、異常なし。

そして髄液検査。

病室で検査したけど、終わって病室に入ると汗だくの息子。

痛みに耐えきったのだろう。

頑張った。

本当に頑張った。

しかし休む間もなく筋電図。

ここで面会時間が終わってしまい、ステロイドパルスについての説明を受けた。

  • 「これから息子さんの体の中に、ステロイドを大量投与します。」
  • 「3日間で1セット、改善しなければ最大3セット行うことになります。」
  • 「体への負担が大きいので、これ以上はできません。」

とのことでした。

 

 帰りたい…

このころから、息子が精神的に不安定に。

検査続きで、いつ帰れるかわからない不安。

私は、息子の前では絶対に泣かないと決めていました。

しかし、きっと目が赤かったりして息子にはバレていたのかもしれない。

そういった不安。

「帰りたい…」

と息子が言うことが多くなった。

しかし、自分の病気がなんなのか一切聞いてこない息子。

私達(先生も)は聞かれてもまだ病名がわからないから答えようがなかったのかもしれませんが。

息子を励ます、なぐさめる事しかできない日々。

 

当時のことについて息子本人に最近になって聞いたところ…

「人生オワタと思ったわ。」

と帰ってきた。

 

 願い事カード

心が折れかけている息子を少しでも何とかしたい。

どうしようと考えていた矢先、息子から

「ハイ、ちゃーこ!」

って紙を渡された。

見ると「願い事カード」と書かれている。

今欲しい物、読みたい本、退院したらやりたいこと。

いろいろ書いてあった。

もう涙を抑えるのが大変でした。

 

ステロイドパルス開始(入院17日目)

願い事カードに書かれていた本と、妹からの手紙(小児病棟には妹でも入れませんでした)と、なぜか「石」が欲しいと言う息子。鉱石の本に小さな石がたくさんついているのがあったので、それを持って病院へ。

すでにステロイドパルス1回目が投与されていた。

これが効きますように…。

と祈る事しかできなかった。

 

 ステロイドパルス2日目(入院18日目)

体調は今までで一番良さそうだった。

しかし、ステロイドの副作用でムーンフェイスに。

息子と久々に長い会話ができた。

 

 ステロイドパルス3日目(入院19日目)

1クール目の最終日。

これが効けばこれで終わる。

どうか効きますように。

 

 シャワーの許可が出た!(入院20日目)

ステロイドパルスが終わり、今までずっと繋がれていた点滴の針が全て抜かれた。

それと同時にシャワーの許可が出て、物凄く喜んでいた。

ずっとシャワーすら浴びられなかったんだもんね…。

 

 ステロイドパルスの効果(入院21日目)

ステロイドパルスが効いているかどうかMRIを撮ったあと説明を受ける。

「明らかに縮んでいます。効いていると思われます。」

との説明!

どれほど救われたことか。

ただ、まだ完全に消滅したわけではないので、もう1クールすることに。

 ただ、この週末は一時帰宅の予定だったが、思ったよりステロイドパルスの効きが良く続けて2クール目となってしまったために一時帰宅はなくなってしまった。

その時の息子の落胆は見ているのも辛いくらいでした。

辛かっただろうに、今まで一度も泣かなかった息子が大泣き。

これだけ頑張っているのに、どう声をかけていいのか…。

 

 ギリギリの精神力、当時の夫の支えはゼロ

息子のそんな状態を見てる私もかなり不安定に。

当時の夫は、そんな私に声をかけるでもなく。

「俺はどうしたらいいんだよ!」

と逆切れする始末。

いや、こんな時だから支えになって欲しいんです。

なんでもいいから声をかけてくれるだけでいいんです。

この頃から元夫に対して信用がなくなってきていました。

病院から帰る車の中で、前が見えなくなるくらい涙が溢れだして怖い思いをしたのも数えきれないくらいでした。

息子の病気のことだけでもいっぱいいっぱいなのに、当時の夫からの心無い言葉。

別れて本当に良かったと、今強く思います。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

ステロイドパルス2クール目からは次の機会にアップしようと思います。