バツ3から4度目の結婚。幸せなステップファミリーを目指す奮闘記。

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急性散在性脳脊髄炎(ADEM)息子の闘病記①発病~一時帰宅

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ハイ☆ちゃーこです♪

子供は自然に大きくなるものだと思っていた。

それがある日突然崩れた。

余命宣告、意識不明、再発、下半身麻痺。

息子が小学校6年生の時にかかってしまった病気について書こうと思います。

病名「急性散在性脳脊髄炎」とありますが最初は腫瘍を疑われ、最終的に決まった病名が急性散在性脳脊髄炎だったのです。

息子の場合、レアケースだったようで確定に時間がかかりました。

そのため、最初は急性散在性脳脊髄炎としてではない伝え方になっています。

また、私は医療に詳しくないため、間違った解釈や表現があるかもしれないことをご了承ください。

そしてこの病気の闘病は約2年に及ぶものだったので、何回かに分けて書いていこうと思います。

現在息子は日常生活に支障がないほどに回復しており、周りから見たら普通の大学生として過ごしております。

同じ急性散在性脳脊髄炎の方、またはそれを疑われている方の参考になればと思います。

 

 

急性散在性脳脊髄炎とは?

ワクチン接種後や感染症後に起こる脳や脊髄、視神経の病気で、原因不明なこともあるそうです。

10万人に2~3人の発症率で、予後は割りと良く50~80%は回復するそうですが、死亡例や後遺症が残る例もあります。

発病当日

倒れる

小学6年生の夏休みが始まってすぐのある朝。

息子がフラフラと壁にぶつかりながら歩いてきた。

そして目の前で倒れこむ。

慌てて駆け寄り聞くと、

「ちゃーこが2人いる。」

「目が回る。」

「頭が痛い、気持ち悪い。」

焦点が定まっていない。

医療に詳しくない私が見ても明らかにおかしい状態。

そして「この症状、脳から来てたりする時に出る症状じゃない?」と血の気が引いた。

救急車…呼んで大丈夫かな?と思いつつも、動かせる状態じゃなかったので呼ぶことに。

病院到着

救急車が来て搬送先が決まり、慌ただしく連れて行かれる息子。

すでに意識は朦朧としていて問いかけにも反応したりしなかったり。

血液、レントゲン、心電図、CTとひと通り検査するも異常なし。

私の中で「異常がないわけがない症状」と思っていたので、そんなはずは…と思い、先生にも本当に異常がないのか聞いてしまった。

しかし「症状が落ち着いたら帰っていいよ。」と言われる。

その後息子はなんとか介助付きでトイレに行くものの、行きと帰りで吐いてしまう。

それを見た先生が、「ちょっと心配だから入院していって。」と。

不謹慎にもこの言葉に安心したのを覚えています。

帰れる状態ではない気がしたためです。

そして急いで準備をするために一旦帰宅。

容体急変

入院準備を終えて病院に戻って息子の顔を見て愕然。

黒目が両端にある‼

喋りかけても呂律が回っていなくて何を言っているのか全く分からない。

すぐにナースコール!

看護婦さんから始まって、次から次に先生が来る。

そして担当の先生が、

「お母さん、お母さんの勘は正しい。なにかある!」

と言われ、すぐにMRIを撮るため連れて行かれる。

かなり長い間息子は帰って来ない。

その間いろいろな事が頭をよぎる。

脳幹部になにかがある

やっと息子が出てきた。

車椅子に座っていたが、今にも落ちそうなくらい丸まってる。

顔を覗き込むと黒目はまだ両端に。

そして個室で先生の話を聞く。

「落ち着いて聞いてください。息子さんの脳の、脳幹部という場所に何かがあります。」

この時点で血の気がなくなっていくのを感じた。

「明日脳神経外科の先生と画像を見て、明日詳しくお伝えします。」

「今の状態は、いつ息が止まってしまってもおかしくない状態なので、ICUで24時間診させてください。」と言われる。

もうその後はどうしていいかわからず、フラフラと帰った気がします。

二日目、宣告

面会時間に行き、息子を見る。

ICUのベッドにこんがり日焼けした息子が寝ている。

ちょっと前まで元気に走り回っていたのにと涙が出る。

そのあと小児科の先生と脳神経外科の先生の話を聞く。

「脳幹部に腫瘍があります」

考えていた最悪の言葉。

画像を見る。

素人目に見てもわかるくらい真っ白な影。

私の顔から色がなくなったのに先生が気付いて、少し時間をくれた。

その後説明を聞く。

「脳幹部という場所、つまり生命の大事な機能を司る場所なので手術をして取り除くことができません。」

「ですが、一度頭を開いて組織を取って腫瘍の種類を調べる必要があります。」

「これは治すための手術ではありません。」

「そのあと抗がん剤などで治療をしますが、一年後の生存率は低いと思います。」

全て聞いて受け入れると覚悟して聞いたのに、簡単に受け入れられるわけがない。

帰りに看護師さんに言われた。

「息子さん髄液検査頑張りましたよ。痛いはずなのに大丈夫って言っていました。」

ぶわーっと涙が出た。

入院から一週間、手術日が決まる

組織を取る手術が一週間後に決まる。

少し症状が落ち着いてきたのでICUから小児病棟へ。

しかし、まだ黒目を自由に動かすことができない。

受け答えはだいぶできるようにはなってきた。

一時帰宅

手術前に一時帰宅が許された。

ただ、この一時帰宅の前に先生に…

「好きなものを食べさせて、好きなことをさせてあげてきてください。」

と、考えさせられる言葉をもらった。

そして一日だけの一時帰宅。

息子が食べたいと言ったもの全てを用意して、目いっぱい遊んだ。

一緒に居られる、ただそれだけのことがこんなにも嬉しいことなんだと思わされる。

この時間が永遠に続けばいいのにと思うも、翌日病院に戻る。

 

「急性散在性脳脊髄炎(ADEM)息子の闘病記①発症~一時帰宅」はここで終わりにさせて頂きます。